東海道57次 大阪北浜から枚方宿へ
今日から二日間掛けて東海道57次の旅。
東海道は53次じゃないのか?ってお思いの方も多いと思いますが、あれは京都三条まで。
西国の諸大名が参勤交代で大阪まで海路を辿りそこから江戸に向かったのは京都をバイパスのようにして伏見、山科を経由して大津に至る東海道57次の街道だったそうで、今回はそこを走ろうという友人のHさんとAさんが主催している「ランde観光」の企画に従って一日目は北浜から枚方宿までの23㎞、二日目は枚方宿から大
津宿までの38㎞を走ります。

北浜駅からちょっと走ると高麗橋の里程標。
大阪から発する諸々の主要な街道(熊野街道や東海道)の発信点です。

さらにちょっと走ると天満橋の手前に八軒屋浜の標識。
東海道を京に上る場合(この場合を京街道と呼び、大阪に下る際には大坂街道と呼び習わしたそうです。)には歩いて上り(ざっと8時間程度かかったようです)、大坂に下る場合には伏見港からこの八軒屋浜港まで淀川を船で下った(ざっと4時間程度かかったようです。)そうです。
現代に淀川で人を運搬する船は運航していませんから、今回はひたすらランニングで伏見を経由して大津まで東海道沿いを走り抜けます。

天満橋を過ぎて大阪城の北詰のところに京橋川魚市場跡の碑がありました。
その昔、淀屋橋で有名な淀屋さんの屋敷がこの辺りにあって、その周辺に魚市場が集まってたいそうな賑わいだったそうです。

京橋を過ぎて、関目七曲を経由して気持ち良く市街地を走っていくと1時間ちょっとで守口へ到着。
守口では太閤秀吉の命で作られた文禄堤が駅前の市街地に残っており、この堤上を走ります。
守口のマクドナルドで昼食。私のビッグマックセットは注文してから1分以内に出て来なかったのでもう一個ハンバーガーが貰える券を貰いました。なんだか申し訳ないような...。
これは難宗寺の境内の大銀杏。
説明は次の写真を参照。

東海道は53次じゃないのか?ってお思いの方も多いと思いますが、あれは京都三条まで。
西国の諸大名が参勤交代で大阪まで海路を辿りそこから江戸に向かったのは京都をバイパスのようにして伏見、山科を経由して大津に至る東海道57次の街道だったそうで、今回はそこを走ろうという友人のHさんとAさんが主催している「ランde観光」の企画に従って一日目は北浜から枚方宿までの23㎞、二日目は枚方宿から大
津宿までの38㎞を走ります。

北浜駅からちょっと走ると高麗橋の里程標。
大阪から発する諸々の主要な街道(熊野街道や東海道)の発信点です。

さらにちょっと走ると天満橋の手前に八軒屋浜の標識。
東海道を京に上る場合(この場合を京街道と呼び、大阪に下る際には大坂街道と呼び習わしたそうです。)には歩いて上り(ざっと8時間程度かかったようです)、大坂に下る場合には伏見港からこの八軒屋浜港まで淀川を船で下った(ざっと4時間程度かかったようです。)そうです。
現代に淀川で人を運搬する船は運航していませんから、今回はひたすらランニングで伏見を経由して大津まで東海道沿いを走り抜けます。

天満橋を過ぎて大阪城の北詰のところに京橋川魚市場跡の碑がありました。
その昔、淀屋橋で有名な淀屋さんの屋敷がこの辺りにあって、その周辺に魚市場が集まってたいそうな賑わいだったそうです。

京橋を過ぎて、関目七曲を経由して気持ち良く市街地を走っていくと1時間ちょっとで守口へ到着。
守口では太閤秀吉の命で作られた文禄堤が駅前の市街地に残っており、この堤上を走ります。
守口のマクドナルドで昼食。私のビッグマックセットは注文してから1分以内に出て来なかったのでもう一個ハンバーガーが貰える券を貰いました。なんだか申し訳ないような...。
これは難宗寺の境内の大銀杏。
説明は次の写真を参照。

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